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ジャミル・シェイク―リー氏(Jamil Shakely) クルド人のお話し

子どもの本から「世界」が見える
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Mr.Jamil 2000年4月21日(土)、東京芸術劇場にて、ベルギー在住のクルド人児童文学作家ジャミル・シェイクリー氏を迎えて、子どもの本から「世界」が見えるという国際シンポジウムが行われました。司会は西アジアを専門とする、作家・エッセイストの新藤悦子氏。ゲストには他に児童文学作家で評論家のきどのりこ氏、在日朝鮮人二世で朝鮮戦争を生き抜いた少女の物語『モンシル姉さん』を翻訳された翻訳家のピョンキジャ氏、オランダ語児童文学翻訳家・通訳でジャミル・シェイクリー氏の作品『ぼくの小さな村 ぼくの大好きな人たち』と、刊行されたばかりの『いちじくの木がたおれ ぼくの村が消えた』を翻訳された野坂悦子氏でした。

ベルギー在住のクルド人児童文学作家ジャミル・シェイクリー氏は1962年イラク北部のクルディスタンに生まれました。戦火のクルディスタンで1982年から戦争報道記者(ジャーナリスト)として活躍していましたが、1989年イラン・イラク戦争でイラク軍がクルド人に対して攻撃をはじめたことから亡命を試み、ベルギーに住むこととなります。そこで、子どもの本を読んだり、子供向けのテレビ番組を見たりしてオランダ語を習得し、1993年に『いちじくの木がたおれ ぼくの村が消えた』(梨の木舎)で児童文学作家としてデビュー。1996年にはベルギーのブッケンウェルペン賞を序章した『ぼくの小さな村 ぼくの大好きな人たち』(くもん出版)を発表しています。アントウェルペン郊外の難民収容センターに勤務する傍ら、オランダ語で執筆活動を続け、1999年年末から2000年年始にかけて初来日。川崎と名古屋で日本の読者と交流会を持ちました。今回の来日では、東京と大阪でシンポジウムを行っています。

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jurk クルドの人たちが住んでいるクルディスタンは、トルコ・シリア・イラク・イランにまたがっています。山の多い地域に住み、イスラム教を信じ、クルド後を話しています。国も無く、国境も無いクルディスタン。今回のシンポジウムでは、司会の新藤氏が1985年にトルコ東部のクルディスタンを訪ねたときのスライドを見ながら彼の地についてお勉強することができました。トルコでは共和国建国以来、厳しく同化政策がとられ、クルド語の使用は長い間認められていませんでした。そういえば、『ぼくの小さな村 ぼくの大好きな人たち』(くもん出版)の中で、ヒワが初めて"ジュギョウ"を受けに学校に行ったときにおじさんである先生が使っていた"へんな言葉"、それはアラビア語でした。当日新藤氏はジャミル・シェイクリー氏のお母様の手作りの民族衣装を召されていました。

ジャミル・シェイクリー氏はスピーチ ―名言集―
■私は38歳。この世に生まれてくるのが早すぎたのか、遅すぎたのか。
■人間という名にふさわしくない人間がたくさんいます。本当の人間は、たくさんのことを知らなければいけません。
■同じ枠の中に皆住んでいるのだから、共に生きていかなければいけない。
■自分が人よりも強いということはない。
■自由とはもともと人が持っているもの。他の人の自由を奪うことは許されない。
■経験したこと、見たことを伝えることで子どもたちが自分で何かを読み取って欲しい。子どもたちは自分で考えることが大切。
■みじめさ、悲しさは支配者、権力者によって管理されている。

実を言いますと、このシンポジウムに行き、ジャミル・シェイクリー氏の作品を読むまで、クルド人やクルディスタンについての知識はありませんでした。学生時代に世界史は習っていますが、本の上での勉強ではそこがどんなところで、どんな人が住んでいて、どんな暮らしをしているかまではなかなか知ることができませんから。この機会をきっかけに、より自分の世界を広げることができたと思います。そして自分の今いる環境がとても平和であることに感謝したいと思います。ジャミル・シェイクリー氏の一言一言の発言には重みが感じられました。よく言葉を選んで話されているなあという印象も受けました。38年間の経験からでしょうか、質疑応答で、クルド人の子どもにとって国家と民族の違いはどう思われますか、という問いがあったときに、ジャミル・シェイクリー氏は政治的な質問については自分の分野外なので、とやんわり意見を出さないで答えていらっしゃいました。

Mr.Jamil Shakely なぜベルギーに亡命したのかは、別に選んだのではなく、たまたま空港に着いたときにパスポートを持っていなかったのでそこで停められたからだそうです。1989年6月に初めてベルギーに来た時、ジャミル・シェイクリー氏は、人々が夜遅くまでうろうろと外を出歩いていた光景が信じられなかったそうです。警察がそういう人々を取り締まったり、なぐったりしていないということに。そして、1993年、クルディスタンに一時帰国した際、クルドの子どもたちに飛行機は輸送手段として使えるものなのだと説明しようとしたのですが、そのことについて理解してもらえなかったそうです。子どもたちにとって、飛行機とは人を殺すものという認識しかないからです。1987年のこと、爆撃を受けたばかりの家に行くことがあったそうです。6、7歳ぐらいの子どもがそこにいて、まわりには死体が転がっていました。その子どもはとても泣いていました。その子を慰めようとすると、「ぼくの大事な鳩が、生きたまま焼け死んでしまったんだ。」と言ったそうです。その子は母親が死んだという事実を知らないのです。そんな子を慰めるにはどうしたらいいのでしょうか。

ジャミル・シェイクリー氏はクルド人というだけで、戦争に加わらなければなりませんでした。自分を守るための戦争、攻撃するための戦争、生きていくための戦争として。戦争を経験したことの無い子どもたちにどのようにして戦争を伝えたらいいのでしょうか、という質問に対し、ジャミル・シェイクリー氏はこう答えられました。熱いスープという戦争を、ふうふうと冷ますことなく僕は直接飲んできました。子どもたちにはすこし冷ましてあたえるべきだと思います。戦争を英雄視する傾向がありますが、戦争は戦争。大人は戦争にいくらでも理由をつけられますが、子どもは正直。まさに直接その悲惨さを蒙ります。

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ジャミル・シェイクリー氏の本を日本語に翻訳されている野坂悦子氏によると、ヨーロッパでの試みとしてベルギー(オランダ語圏)、ポルトガル、イギリスの3ヶ国間で、一つの共同事業が成されているとのことです。20世紀の戦争と抑圧の記憶を風化させないために、それぞれの国や大学、上級職業学校で教職指導に当たる教員が中心となり、3つの言語圏における戦争児童文学をリストアップし、教育現場で使い易いものにまとめようということです。1997年に第一歩として3ヶ国語(オランダ語、ポルトガル語、英語)で『青少年書籍における戦争と平和』というカタログが発行されました。1999年にはオランダ語圏で『今晩、お話しにきて:物語と詩の中の戦争 Kom vanavond met verhalen. Oorlog In verhalen en gedichten』(版元 Bakermat)が出版されました。80編の物語の抜粋や詩が収録され、ホロコースト、広島の原爆、東ティモール問題、旧ユーゴスラビアのボスニア避難民についての作品などにまで及んでいます。ジャミル・シェイクリー氏の『いちじくの木がたおれ ぼくの村が消えた』も収録されています。彼の作品は2冊野坂悦子氏により翻訳されています。ここに少々紹介いたします。

ぼくの小さな村 ぼくの大好きな人たち 『ぼくの小さな村 ぼくの大好きな人たち』(くもん出版)

"恋"ってなに?"死ぬ"って、どういうこと?
ヒワは、まだ5さいの男の子。
でも、もう学校に通っている。
好奇心いっぱいのヒワには、毎日が、小さな冒険と発見でいっぱい!
⇒この本を読む人は、クルドの村の生活にごく自然にはいりこんで、音や匂いを感じとることができるだろう。あたたかさと安心感、そして愛情につつまれた、元気のでてくる物語だ。
⇒五歳の少年の目を通して語られるこの物語は、笑いと新鮮なおどろきに満ちていて、どんな人でも楽しんで読むことができるだろう。<レーシデー誌>

ヒワという5歳の男の子が主人公のお話しです。平和な村に住み、ろばで学校に通う子あり。素朴な少年の日常生活が描き出されているほか、妹に不幸や、結婚式の様子も見てとれます。ジャミル・シェイクリー氏自身、5歳の時に村から町へ引越しをしており、また自分の妹を失ったという経験があります。この本と次の本で共に5歳の少年が主人公なのは、5歳という年齢は、すっごく子どもであるところから物事をきちんと考えられるようになる子どもにとって境目の年齢だからである、といっています。

『いちじくの木がたおれ ぼくの村が消えた』(梨の木舎)

アラームは、透き通った水が流れ、子ひつじたちがはしりまわる美しい村に住んでいました。ところがある春の日、カーキ色の軍服を来た男たちがやってきて村人たちに銃をむけ、アラームの家のおおきないちじくの木をたおし、家を壊して村を破壊してしまいました。
人々は、村を離れました。そしてアラームと母さんは町に行きます―。
⇒2500万ともいわれる人口を擁しながら大国のパワーゲームの犠牲になり、国をもてない民族の現在を少年の目を通して描く。

主人公は同じく5歳の少年アラム。頭で構成を練っていたジャミル・シェイクリー氏は、原題「白い雲」というこの作品を一日で書き上げたそうです。よく、「なぜ作家になったのですか?なぜ子どもたちのために書いているのですか?」との質問を受けるそうですが、ジャミル・シェイクリー氏はいつも答えに困ってしまい、「人は作家になるわけでもなく、もとから作家なのだ」と答えているそうです。自分が物語を書いているわけではなく、心の中でふくらんで動き出したアイデアを、首飾りになるようつないでいくことが自分の役目だと考えていらっしゃいます。

ジャミル・シェイクリー氏はこの2冊の本をオランダ語で書いています。自分の国の言葉で書くのではなく、他人の国の言葉で文章を書くということはやはり、協力者がいるものの、入れ歯で物を噛んでいるような気分になるそうです。


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